体系的なカリキュラムは存在しない?

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大学には、全国一律の体系的なカリキュラムは存在しません。これが高校までの勉強と大きく異なる点です。例えば、小学校を思い出してみましょう。

小学1年生の算数で学んだのは、「足し算」と「引き算」でした。小学2年生では「掛け算」を、小学3年生では「割り算」を学びました。同様に、小学1年生のときには覚えるべき漢字が80字あり、小学2年生では160字、小学3年生では200字ありました。

どの学年で何を学ぶかは、日本全国一律でどこの学校でも同じでした。これは、カリキュラム(学習指導要領)が文部科学省によって厳格に定められていたからです。中学校や高等学校も事情は同じです。

しかし、大学にこのような厳格なカリキュラムはありません。ゆるく大まかな枠組みがあるだけで、あとは大学、教員、そして学生自身に委ねられています。

 

厳格に体系化されたカリキュラムが大学に存在しない理由

大学は論理的思考の場であり、教科書を鵜呑みにして覚えることは求められていません。教えられたことを早くたくさん覚えることより、議論の筋道を自分の手で検証しながら学ぶことが重視されます。

また、大学は、知の最前線でもあります。昨日まで信じていたことが誤りだと判明したり、当たり前だと思っていたことをあえて疑うことから研究が発展したり、そのようにして正解は日々書き換えられ、新たな知が生み出されています。

正解がいつまでも正解ではない知の最前線では、極論すれば、覚えるべき正解がそもそも存在しないともいえます。だからこそ、そこに至るまでの論理的な思考と議論の筋道がより大切になります。
 

正解が存在しない世界では、カリキュラムにもやはり正解はありません。正解があるとすれば、自らの学問的な興味に従って学んだ履修科目一覧こそが、結果的に正しいカリキュラムだったといえるでしょう。

学問的興味すなわち問題意識は、人それぞれで異なります。学生は自らの問題意識に従って能動的に学ぶ存在であり、そのように期待されています。その学生に対して、一律のカリキュラムを課すことは野暮であり、学問の自由に対する冒涜でもあります。
 

以上のような複合的な理由から、全国一律の厳格なカリキュラムは、大学には存在しません。

 

自分のカリキュラムは自分で築き上げる

それでは、大学ではどのようにして勉強を進めるべきなのでしょうか? 学生は自らの問題意識に従って、能動的に学ぶことが期待されていることは前に述べました。
 

そこで手始めに、興味・関心がある分野の概論を学ぶことから始めましょう。一般科目(一般教養科目、パンキョウなど)や各学部で開講される基本科目は、それにふさわしい講義です。そのような講義が見当たらないときは、自分で入門書を探してください。

講義は、自分が所属している学部学科にとらわれることなく、純粋な学問的興味から履修することが理想です。所属学部と異なる分野に興味がわいたとしても、気に病むことはありません。大学入学前に学部を決めさせる日本の教育制度がそもそも奇妙なのです。
 

そして、概論で紹介された教科書をペラペラとめくってみましょう。それと同時に、同分野の入門書2~3冊、できれば4~5冊を自主的に読みましょう。これで、その分野の全体像が把握できます。

入門書には、その分野における特有の考え方、学び方、必読書などが紹介されています。これによって、今後どのように学ぶべきかが自ずと見えてきます。あとは、専門科目を履修したり、専門書や論文を読み進めたり、先生の教えを受けたりしながら、理解を深めていくことになります。

 

大学ではこのようにして、自分の興味関心に応じて、カリキュラムを自ら築き上げていきます。高校までのような天下り的なカリキュラムの消化は、学徒たる大学生には似合いません。

手探りで自分だけのカリキュラムを自ら紡ぐ。これが、大学で学ぶということです!

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(おわり) 

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