講義から本当に学ぶべきこと

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大学で学ぶことは大したことない?

大学の講義から本当に学ぶべきことは、知識ではありません。知識くらいなら、大学でなくても学べます。インターネットがあれば、誰でも簡単に調べられます。大学の講義より詳しい専門書だって手に入ります。
 

例えば、経済学者の野口悠紀雄[1]さんは次のように述べています。

「大学で教えている内容は、個別のフロー情報としてみるかぎりでは大したことではない」と知ることが、逆説的ではあるけれども、大学で学ぶ最大の効用なのである。

野口悠紀雄 『「超」勉強法』 講談社 1995年 p.255

 
また、立花隆[2]さんは、読書論の中で次のように語っています。

大学で得た知識など、いかほどのものでもない。社会人になってから獲得し、蓄積していく知識の量と質、特に、二〇代、三〇代のそれが、その人のその後の人生にとって決定的に重要である。若いときは、何をさしおいても本を読む時間をつくれ。

立花隆 『ぼくはこんな本を読んできた』 文藝春秋 1995年 p.75

 

個別のフロー情報としては大したことではなく、大学で得た知識などいかほどのものでもないとしたら、大学の講義からいったい何を学ぶべきなのでしょうか? これほど情報が容易に手に入る時代でありながら、それでも大学の講義から学ぶ意義とは何なのでしょうか?

 

大学の講義から何を学ぶべきか?

その答えは、先生の雑談にあります!

ここでいう雑談とは、もちろん、愚にもつかない世間話のことではありません。知的好奇心をかきたてる雑談のことです。
 

例えば、講義から脱線して雑談が始まると、それ自体は他愛もない話題だったとしても、その切り口から先生の専門的な知見に基づく物の見方が垣間見えたりします。そこに表出した物の見方とは、つまり、先生の専門分野が描く世界観から見た解釈ということです。

その世界観を通して語られる雑談は、当たり前と信じていたことが当たり前ではないと認識を改めさせる教訓だったり、その世界観から必然的に導き出される突飛な恋愛論や人生哲学だったり、講義に関連するちょっとした冗談だったりします。いずれも、その専門領域を究めた者だけが語れる雑談といえるでしょう。

このような一期一会の雑談にこそ、大学の講義に出席する価値があるのです。

 

実際、大学で学んだ知識それ自体が卒業後に役立つことは稀です。しかし、先生の雑談に込められた専門家としての英知は、心の中で生き続けます。知的に洗練された雑談には、聴く者の価値観や思想にまで影響を及ぼす力があるからです。
 

そもそも学生にとって、大学は、知識をただ学ぶための場ではありません。その学問が描き出す独特の世界観を体得するとともに、学問の学び方を身につけるための教育機関です。

だから、大学の講義は、知識を学ぶことが真の目的ではありません。知識は、自分で教科書を読めば事足ります。それよりも、講義でしか聴くことができない先生の雑談から、物の見方を学び、学問に対する愚直な態度を肌で感じることが大切なのです。

 

大学の講義とは、先生が専門家としての存在意義をかけて、その知見を基に語りかける講演会です。講演会なのだから、先生の雑談を大いに楽しめば良いのです。

しかも、研究と教育に熱心で優秀な先生ほど、雑談もおもしろい傾向があります。だから、雑談がおもしろい講義には積極的に出席してみましょう!

[1]野口 悠紀雄
(のぐち ゆきお 1940 - )元大蔵省官僚、経済学者。専門は日本経済論、ファイナンス理論。「『財政危機の構造』を中心として」でサントリー学芸賞受賞。1990年代に「超」整理法シリーズ、「超」勉強法シリーズがベストセラーとなる。
[2]立花 隆
(たちばな たかし 1940 - )ジャーナリスト・ノンフィクション作家。『田中角栄研究』、『「知」のソフトウェア』、『東大生はバカになったか』など著書多数。

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(おわり) 

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