教養入門 ~教養とは何か?~

教養とはいったい何なのでしょうか?

  • 本を読むことでしょうか?
  • 幅広い知識を習得することでしょうか?
  • 文化芸術を嗜むことでしょうか?
  • 人格を陶冶することでしょうか?
  • 洗練された作法を身につけることでしょうか?

一般的には、これらのように理解されているでしょう。

しかし、教養学部では、教養を「適切に意思決定する能力」と定義しています。

なぜ「適切に意思決定する能力」が教養の定義としてふさわしいのか? 一緒に確認していくことにしましょう。

教養の歴史

現代の日本人が抱く教養のイメージは、大正時代と第二次世界大戦後の2回に分けて形成されました。

まず、大正時代には、ドイツから輸入されたBildung(ビルドゥング)の訳語として教養という言葉が使われました。次に第二次大戦後には、アメリカから輸入されたLiberal Artsが教養と同じ意味の言葉として広まりました。

つまり、現在流通している教養という言葉は、Bildungの意味とLiberal Artsの意味が混ぜ合わさったものということです。逆に言えば、BildungとLiberal Artsを混ぜこぜにしたものが教養です。

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そのため、BildungとLiberal Artsの正体を明らかにしなければ、教養という言葉の持つ意味は理解できないということになります。

順を追って紐解くことにしましょう。

Bildungとは何か

もともとBildungという概念は中世から近代へと至るなか、ヨーロッパの都市生活者の間で生まれた「いかに自分らしく生きるか」という個人的な問いかけでした。ところが18世紀に入ると、ドイツ観念論ロマン主義から影響を受け、Bildungは変質していきます。

ドイツ観念論からは「学問(哲学)による人間性の向上」という考えが持ち込まれました。ドイツ観念論の学者たちは、純粋な学問とは哲学であり、哲学こそが人間性を高め、良き市民を育てるという信念を持っていました。すべての学問は哲学から始まったという話を聞いたことがあるかもしれませんが、それは彼らが哲学の地位を高めるために言い出したことだったのです。

もう一方のロマン主義からは、「読書(古典)による人格の陶冶」という考えが持ち込まれました。ロマン主義の作家たちは、読書こそが人格を陶冶し、普遍的な人格形成には古典がふさわしいと主張しました。この時代にはゲーテ『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』T.マン『魔の山』などの教養小説が一世を風靡していました。

その結果、Bildungとは「哲学を学ぶことによって人間性を向上させること」であり、また「古典を読むことによって人格を陶冶させること」という概念にすり替わってしまいました。

こうして変質してしまったBildungが大正時代、日本に輸入され、それが教養と呼ばれるようになりました。教養という言葉から私たちが、哲学、古典、読書などを連想する理由は、Bildungの歴史と深い関係があったということです。

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